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八十小路


 

*別荘
明治の鎌倉を象徴するものの一つに、「別荘」がある。まだ横須賀線ができていながった頃に、フランスかイタリヤの外交官だか宣教師かが稲村ケ崎か七里ケ浜に建てたのが鎌倉の別 荘のはじまりだそうだが、これはドクター・ベルツが明治13年に七里ケ浜を「最適の保養地」と推賞していた影響であろう。横須賀線開通 後は急散に別荘が増えて行った。鎌倉に別荘を持つというのが、当時のいわゆる上流社会での誇りであり、流行であった。最初の土地ブームはその当時である。御用邸も建った。皇族の別 荘もできた。華族、上級官吏、軍人、富商たちは競ってここに別荘を待った。明治末年の統計を見ると、鎌倉の全戸数が2400、その中の400が別 荘であり、更に「貸別荘」と称するものが400余ある。
つまり3軒に1軒は別荘または賃別荘だったわけである。しかも、その別荘の殆どが単に避署避寒のためではなく、年間を通して便用されていた、即ち住宅であったことが特徴である。これが良かれ悪しかれ今日の「鎌倉らしさ」の源流をなしているといっても間遣いはないと思う。夏目漱石は『門』、『こヽろ』などに出てくる鎌倉に「ハイカラな」という字句を使っている。鎌倉をハイカラな上地にしたのは、やはり「別 荘人種」が醸し出した風潮にちがいないが、それがただ「きざ」や「軽簿」だけに陥ちてしまわなかったところに鎌倉の歴史の持つ強靱さがあったといえょう。大佛次郎は、鎌倉の良さは細い裏通 りの緑濃い生垣の奥からてくるピアノの音だと、いった。明治のハイカラが、かれてあく抜けて、しっとり落ち着いたということなのだろう。



鎌倉のなかの明治
その1「段葛」  その2「海岸への道」  その3「別荘」  その4「海のことなど」  その5「人力車 自転車」  その6「松のある風景」
鎌倉のなかの大正
その1「鎌倉劇場」  その2「白切符 青切符」  その3「鎌倉能楽堂」  その4「自動車」  その5「遊覧馬車」   その6「外人客」  その7「海浜博覧会」  その8「海軍さん」  その9「洋食屋」  その10「第二の変わり目」
鎌倉のなかの昭和
その1「提灯」  その2「めいた町」  その3「海から来る春」  その4「暗かったころ」  その5「市民座」  

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