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八十小路


 

*人力車 自転車
 開府以来鎌倉は切通を要害としていた。この見通しのきかぬ狭い急坂の数々は、防禦という目的を失ってしまってからも、幾世紀かそのままの姿でいた。
 だが、明治に入ると当然、そのいくつかが改修されはじめた。大仏切通が三十尺切りさげられたのが明治13年、同15年には巨福呂の旧道を捨てて新しい切通が開かれた。
 この2つの切通が先んじて改修されたのは藤沢、戸塚の宿場への道であると同時に、人力車が増えたからだったと思われる。鉄道開通以前の観光客の多くは横浜、戸塚または藤沢から人力車を雇ったという。
 鎌倉にも明治4,5年ごろから人力車があったが、爆発的に増えたのはやはり別荘地になってからだった。最盛期には駅前に百台近く並んでいた。
 客種のせいか、乗心地がよくなければ駄目なので、ゴム輪の車ができた時はいっせいにそれに変ったそうで、その切替は横浜より早かったと言われている。
 自転車がまだ珍しく、「上等舶来」だった時分、汽車には乗らず、東京からわざわざ自転車で鎌倉まで遠乗りして来るのが「開化人士」の心意気だったらしい。当時はまだ『万朝報』記者だった堺枯川は、松居松葉などと度々自転車で半日がかりでやって来ている。








鎌倉のなかの明治
その1「段葛」  その2「海岸への道」  その3「別荘」  その4「海のことなど」  その5「人力車 自転車」  その6「松のある風景」
鎌倉のなかの大正
その1「鎌倉劇場」  その2「白切符 青切符」  その3「鎌倉能楽堂」  その4「自動車」  その5「遊覧馬車」   その6「外人客」  その7「海浜博覧会」  その8「海軍さん」  その9「洋食屋」  その10「第二の変わり目」
鎌倉のなかの昭和
その1「提灯」  その2「めいた町」  その3「海から来る春」  その4「暗かったころ」  その5「市民座」  

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